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私のサラリーマン人生。

ちょっと前に、会社でのおシゴトについて、綴ったことがありました。今日は、今までのおシゴトについて、語ってみようと思います。

ワタシが入社したのは1991年。世の中はバブルのピークを迎えていたころです。実家から、会社勤めを始めたのですが、とにかく洋服は買いたい(会社、制服ないので、おしゃれが大変!)、お化粧品も買いたい、合コンはあるし、テニスやスキーにもいかなきゃだし、会社の仲間とダイビングにも行くようになったし、で、お給料が安かったこともありますが、収入よりも支出が大幅に上回る状態が続いておりました・・・。(恥) 周りのお友達も、みんなお給料の口座、マイナスだったので、それが当たり前だと思い込んでいました。きゃ。そんな時代から、話はスタートします。

入社当初、ワタシは人事部門に配属。メーカーに就職、で思い描いていたのは、50人とか、100人とかエンジニアの男性がいる中に、女性が1人とか2人とかで、みんなにちやほやされるの図。実際、同期の友達はそういう職場に配属されて、青春を謳歌しているのを横目に、女性が多く、また、男性顔負けのシゴトをする優秀な女性もいーっぱい、とにかくみんなマジメでバリバリ働く、という、ある意味劣悪な(!?)環境で、私のサラリーマン生活が始まりました。

当時、人事に配属された女子は、「顔採用(優秀な学生を吸い寄せる採用担当者を期待される)」「体力採用(とにかく丈夫で長持ち、負けず嫌いでバリバリ残業を期待される)」と分類されていたようで、若いなりにも、(あ、ワタシは後者だよね。がんばらなきゃ。)とか、健気にがんばっていたのでした(爆)。とにかく毎日やることが満載で、残業ばかり。連日の午前様には、親が心配するほどでした。

入社当初は外国人の採用をしているチームに入り、求職者の履歴書をチェックしたり、お手紙書いたり、研修生の受け入れをしたり。英語も全然できなかったので、大汗かいて、時には半べそかいて、上司や先輩に励まされて、の日々でした。

1年ほど経ち、人事の中で担当替え。今度は海外へ赴任する人の手続きをするチームに。地域担当に割り振られて、私はアジアと中南米の担当に。社員やそのご家族のビザの手続きや、引越し荷物のアレンジ、諸手当の振込み、もろもろ。お給料の計算もするし、保険などの手続きのお手伝いもするし、時には電話でおじさんたちの愚痴も聞いてあげたり。海外の関係会社の社長さんともやりとりしなきゃ、ということで、偉いおじさんたちとどうつきあえばいいのか、まさにカラダで覚えた日々、でした。

そして、そろそろ人事以外のシゴトもしてみたい!という希望がかない、経営企画部門に異動。本社スタッフとして、投資の決裁審議をなどを担当。上司にも恵まれ、経営数値の見方、勉強の仕方などをじきじきに教えていただいたり、企業経営のいろいろ裏も表も・・・という、貴重な体験をしつつ、まさに「オトナの階段」をのぼった時期です。(笑)

入社5年目を迎える頃、上司の異動に伴い、財務部門に異動。お昼休み、同期が話していることすら理解できないという大ピンチからのスタート。同僚、先輩、後輩に恵まれ、いろいろ助けてもらいつつ、自身も簿記や税務、英語を猛烈に勉強しました。財務状況のトップへのレポート等行う財務管理から、関係会社の財務サポートを行う財務企画まで、5年ほど。後半の2、3年は、海外出張が多く、コレがほんとにきつかった・・・。きつかったけれど、シゴトを通じて、仲間が増える、という楽しさを知ったのはこの頃です。英語もそんなに上達はしなかったけれど、外国人コンプレックス、やっと克服できた、かな。

そして、30歳を迎えるにあたって、新しいことをやってみたい、という思いを抱くように。せっかくメーカーに就職したのだから、モノヅクリの現場で働いてみたい、と、技術開発部門の企画スタッフに。

ここではネットワーク技術のプロモーションなどを担当。ある技術を商品に採用してもらうよう、社内営業をしたり、国内外のイベントでデモを行ったり、商品企画や営業担当者、エンジニア、研究者、デザイナー、いろーんなヒトとシゴトをするようになりました。出張で初ヨーロッパ訪問も。そうそう、異動して2週間後にドイツに出張しろ、と言われたのはびっくりしたなぁ。(笑) 今、思えば、この頃に知り合った人達、部署やタイトルが変わっても、この数年、ずっとつきあっていたりします。ある意味、職場の同僚よりも、同士みたいな気持ちが強いかなぁ。

そして、2003年末から2004年夏までの8ヶ月間、知り合いに頼まれて、経営管理のシゴトに戻っていました。事業自体がものすごく厳しい状況だったし、組織も保守的で、窮屈なところはあったのだけれど、ここでも同僚に恵まれて、楽しくシゴトをしていました。

で、去年の夏、今の上司とある宴会でご一緒したのが縁で、経営管理のシゴトを離れ、今は、技術推進、商品戦略など盛りだくさんな内容のプロジェクトを担当しています。こう振り返ってみると、20代後半くらいからは、「コレコレを一緒にやらないか?」をベースにキャリアを積んできたんだなぁ、とじんわり。

私自身、コレといった専門性があるわけでもないので、「おい、一緒にやろーぜー。」「わ、楽しそう。やるやる。」的なの、当然といえば、当然かも。今更ながら、なんだからしいなぁ、と感心。(笑)

ということで、こんなことを夜中に書いてるのってどーよ、と自分自身につっこみつつ、どこかの誰かがこれを読んで脱力できるかもしれないし、とかなんとか思っています(笑)。

いろんな会社、いろんな部署、いろんな上司がいて同僚がいて、誰もがそれぞれに悩みを抱えながら、毎日、がんばっているのだと思います。私にはこんな15年があって、今、ココにいる、ということ、そして、こんな15年を振り返りながら、これからの5年、10年を考えていること、ネットを通じてたくさんの方と共有できること、とても心強く思っています。

投稿者 sunameri : 2005年07月06日 00:58

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コメント

スナちゃんのお仕事、前回も興味深~く拝読いたしました。
前回の“今のお仕事”についての時は、おじ様(お兄様)達を
相手に職場でも(宴会でもイジられて!?)緩衝材になってるじゃん!って思いました~
今回のキャリアを拝読して、“ひょえ~、スナちゃん会社まるごと把握してんじゃん!!”ってビックリ。
人事、財務、経営、技術開発って、メーカーさんの一連の流れのほとんどじゃない?
(大きな会社だからまだ他にもいっぱい部署はあると思うけど。。。)
こうなったら、おばあちゃんの知恵袋あるいは生き字引的な存在になるまで頑張るってのはどう?

投稿者 オードリー : 2005年07月06日 12:31

オードリーおねぇさま、こんにちは♪
早々のメッセージ、ありがとうございます。
もともとメーカーに就職した理由が「エンジニアに囲まれて
思いっきりちやほやされたい・・・」でしたので、その目的
達成は日々遠のくばかりなのですぅ。(爆)
うちの会社、社内異動お好きにどうぞー、な感じなので、私
のようにジプシー的なキャリア(キャリアと呼べるのかなぁ)
を積むヒトと、1つの部署で、5年、10年と、しっかり専門
性を高めるヒトと、両極端に別れるのが面白いです。
シゴトのことも、こうやって書いていると、自分自身で発見
もあったりして、楽しかったりします。ブログのカテゴリー
もちょっと見直そうかな、なーんて思っているところです。

投稿者 sunameri : 2005年07月06日 12:39

おシゴト考たのしく(って言葉が適切なのかな)読ませていただきましたー。sunaさんに触発されて、私もキャリアについて語りたくなり、数日前から書き始めたのですが、これが超大作(笑)アップするのもどーかなー、と思い控えています。

私の場合、じっくり系なので、ドロドロの人間模様(笑)ももれなく付いてきますが(書いてはいませんが)、書いてみるとすっきりするものですね。これまでのこと、これからのこと、ちょっと違った見方で、考えられるので、とても良かったと思っています。

投稿者 シゲミ : 2005年07月07日 11:02

しっかり読みました。暇ですので。(^▽^
う~~ん確かになんかもったいないような気もするな。
財務の経験が一番大きいよね。経営センスがあるかもしれないなあ。私も今度、また大きく舵を切る予定です。でも職住接近という路線で・・・・これ秘密ですよ。

投稿者 Cup : 2005年07月07日 15:15

シゲミちゃん、こんばんは♪
すてき生活系サイトに対抗して、働くヲンナのココロの叫びなど
に活路を見出そうという試みです。(爆)さすが、シゲミちゃん
入れ食い状態。(爆爆爆)
シゴトでね、事業戦略とか商品戦略とかいってるけど、やっぱり
まずは自分の人生の戦略をしっかり作って、自分の人生、切り拓
いていかないとね。>> おぉ、大風呂敷広げちゃったよ。笑

投稿者 sunameri : 2005年07月08日 01:04

Cupさん、こんばんは♪
おぉ、Cupさんも新境地開拓路線ですか。むふ。1度きりの人生
ですから、やりたいと思ったこと、片っ端からやってみるべき、
と思います。楽しい企て、ぜひ、お話聞かせてくださいっ。

投稿者 sunameri : 2005年07月08日 01:07